ツイッタラー界隈ブログ

ツイッタラー界隈で起こった出来事をまとめていきます。

ツイッタラーが「つまらない」という意見について考察

最近よく「今のツイッタラーつまらない」といったような言葉を目にします。

 

「昔の方が良かった」
「最近は退屈だ」
「新参はノリが悪い」
「年齢層が下がった」

 

皆さん様々な言い方をしますが、まぁ多分何かしら思うところがあるのかと思います。

この様な言葉が本心のものなのか、ただの古参アピールなのか、
はたまた違いがわかる俺アピールなのかは分かりませんが、
結構新参な方も仰ってるのを見る限り、実際ツイッタラーというものはつまらなくなってきたのでしょう。

 

実際上に上がってる愚痴、年齢層やノリに関することが事実なのかどうかは置いておいたとしても、こうもつまらないと連呼してしまっては、面白いものもつまらなく感じてくるように思えます。

 

このままではせっかく作ったブログのネタが発生しない危機に…
ということを避けたいので、私なりに稚拙ながら考察と解決策…、解決策は無理そうですが考えてみました!

 

イッタラーとしては活動したことがないので処々おかしい所があるかも知れませんが、大目に見ていただけると幸いです…

…叩かれそうな文章になりますがどうか御手柔らかに…

 

あくまで個人の意見ですということもお忘れなく…

 


という訳で注意書きも終わりましたので

 

最近のツイッタラーはつまらない

この命題から考えて行きたいと思います。

そもそもつまらないとは一体何なのか。

結論からいえば、これは
変化が無くなってきた、もしくは変化の度合いが小さくなってきた

新しい刺激が減った

ということではないかと推測します。


実際、多くの方が述べる「楽しかった昔」
ふぁぼ界隈の頃ですと
特定や論争、顔の晒しなどの行為に、いちいちこれでもかと言うほどの盛り上がりを見せていたのが、
今では仲間内で少し話のネタになるのが関の山、特定されても数日で話題は変わりますし、ツイッタラーの界隈にも広まりません。


この様に、
*.行動が全体的に消極的かつ内輪で終わってしまうと、ツイッタラーが楽しいと感じるもの、退屈ではなくなるような新しい出来事の総数も減り、今まで特定や論争といったものに付きまとっていた危うさ
(特定であれば晒され、論争であればそのツイッタラーと論争相手の力の差がバレる)
と言ったものも無くなり
危機感もなくなる。

こうなると特定や論争の技術を磨いても得られるリターン
(畏怖や名声など)
も減り、そういったものを手に入れるより、大人になるほうが、
特定や論争といった、今までのツイッタラーの武器を痛々しいと批判して、他者との違いをアピールすることの方に力をかけた方が効率よくアイデンティティが確立できるようになる。

そうして他者や他者が起こした行動を「痛々しい」と切り捨て、ネタや炎上へと昇華させないため、更に新しい刺激は減ってゆく…*.

 


…一気にバーっと書いてしまいましたが、つまらなくなった流れ、と言うのはこのような形なのではないでしょうか

 

多分これを見て、論争や特定を痛々しいと言っている方々、もしくはそのような技術を持たないからこそ論争や特定というのを嘲笑うルサンチマンとなっている方々は、不快に感じることでしょう。

 

ですが実際、ふぁぼ界隈といった、「楽しかった昔」
の話をしますと、皆さん一様にそういった荒事やノリについてお話になりますし、そもそも変に大人ぶってアイロニカルに構えた物言いをするのは、冷静なのではなくただ空気が読めないだけでしょう。
普段からつまらないつまらないと言ってるくせに、自ら面白くできるネタを潰していくなど、意味のわからないことをいつまで続けるおつもりなのでしょうか

 

それにこれは、論争や特定といった危なっかしいものだけではなく、ネタツイなどにも通じることです。

自身で面白いネタを生産するより在り来りなパクツイの方が圧倒的に楽ですし、たとえパクツイではなくとも何番煎じかのありきたりなネタ。

現に今でもネタを生み出すツイッタラーさん(まっくろくろすけ氏、ダヴィンチ恐山氏、ソンドボレル氏etc..)はいらっしゃいますが、ふぁぼ界隈の時のように関わり持ってるよ、というツイッタラーが今いますか?
イッタラー会議の時のように、お話時々しますよ、読んだら来てくれますよ、と言えるツイッタラーさんはいますか?
…多分もう、いないと思います

 

このようなことからも分かるように、もう中高生等からなるツイッタラーと、ネタツイッタラーさんたちは完全に違った界隈となってしまいましたし、
私達中高生等からなる方のツイッタラーはネタツイという数少ない活動の一つを手放してるわけです。

…まぁ、ネタツイに関しては昔から面白い人が多かったかと言われれば微妙なところではありましたが、何番煎じのパクツイよりは全然マシです。

昔はあった、個人の名言、みたいな感じのもの
(わさらーだわっさーwwwwや、神風ビューンwwww、といった、そのキャラを示す決め台詞)
も亡くなりましたしね…

 

ネタツイや論争特定のように、今まで自分を他者との違いを作るために努力していたツイッタラー(ふぁぼ界隈時)を、誰にでもできる楽な方へ楽な方へ、とサボっていった(現在のツイッタラー)のが、面白くなくなった原因なのではないでしょうか。


このように楽な方向へと流れたのは、多分年齢層の低い新参が大幅に増え、見様見真似でふぁぼ界隈のツイッタラーの真似事を行ったからだと思われます。
そもそも経験も努力も技術も足りてないのに同じ土俵に立てるわけなく、新参新参と叩かれついに真似ることすら諦めた彼らは、ふぁぼ界隈のツイッタラー達から「新参の叩き方」のみを学んだ。
他の継承すべきツイッタラーとしてやってたことは学ばず、新しく入ってきた自分よりも新参のツイッタラーを叩くことだけに精を出す。
右も左も分からぬ圧倒的弱者を叩くだけで満足した新参は、技術を磨くこともなく批判の口だけはいっちょ前に…
これが連鎖して連鎖して…


遂には自分より強いものから叩かれるのを恐れ、古参と新参は棲み分けを始め、いよいよ古参が培った「面白かった時代」の遺産は受け継がれぬまま、ただただ仲間内で慰め合うようになり…

と、マイナスな連鎖がどんどんと続いていく続いていく。見るに耐えませんね。

(あくまで仮説ですのであってるかは保証いたしませんが)

 

こうやって問題点について考察してみたわけですが、…
うーん…
解決策…

そもそも年齢層が広くなった上に全体数も大きくなったのだから、大多数を満足させるような面白さ、ワクワク感を演出するためには、ふぁぼ界隈時とはまた違った界隈の作り方をしなくては成りませんし、いつまでも過去ばっかり見てるんじゃねぇよ懐古厨…って言うのが結論かも知れませんが…

そもそも今古参ぶってる方々も大概が、新参の楽な方法に感化されたのか、論争や特定といった昔やってたものを痛々しいと切り捨てて大人ぶってる方が多いんですよね…

…いやまぁ確かに22超えて論争だ特定だ叫んでたら少しひきますが…

赤村氏及び一門や周りの方々は今でも論争吹っかけたら答えてくれますし、今でも精力的に論争ができそうなところを追い求めてますよ。
新参に文句つける前に、古参の方々はこれを見習って、自らも行動するようにしては如何でしょうか、

…赤村一門の方々に関しては強さが段違いなので、新参が立ち向かうには些かおすすめできないのが現状ですが…

 

どちらにしても、
イッタラーというのは大概が中高生、
こんな青年期のお子様方なんですから、大人ぶった平和主義押し付けるより、多少荒々しいネット世界の方が楽しいとは感じられるでしょう。
…そもそもツイッタラーやってる方の殆どが、非現実を求めて、でしょうし
リアルで満足してたらツイッタラーなんてしないでしょう?
ネットの中だから事できる荒々しいことを、痛々しいとして切り捨てるのは、あまりにもつまらないですし、そのような取ってつけた大人らしさに酔ってる方々の方が痛々しくないですか?

 

昨日と同じことを繰り返す世界を誰も求めることはありません。
もしツイッタラーがつまらなくなってきたな、と思うのであれば
そう思ったあなたが、ツイッタラーという立場を使い、昨日とは違った新しい刺激を含んだ世界を作ればいい
そうして行こう
と、心がけてくれる人が一人でも増えてくれたら嬉しいですね。

 

 

 


うーん…解決策はかけそうにありませんね
また次の機会があれば頑張ってみます!

ここまで、とてもとても稚拙な(今回は特に)、グダグダとした文章を読んでいただき、ありがとうございました!